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 460名の学部入学生、ならびに53名の大学院入学生、11名の編入学生、1名の再入学生の皆さん、入学おめでとうございます。新しく東京造形大学の一員となられた皆さんを、私たちは心から歓迎いたします。また、ご家族ならびに関係者のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。

 新入生のみなさん。今、私はこうして壇上からみなさんに語りかけていますが、三十三年前、私は今のみなさんと同じように東京造形大学の入学式に臨んでいました。本日は、学長というよりひとりの卒業生として、私が学生時代に体験したことを少しお話ししてみたいと思います。

 私は高校生のときに一台のカメラを手に入れました。現在のようなデジタルビデオではなく、8ミリフィルムを使用する映画カメラです。そのカメラで、自分の身の周りのものを撮影するようになると、自然に自分の表現として映画を作りたいと思うようになりました。映画館で上映されているような大掛かりな映画ではなくて、絵画のように自由に表現するささやかな映画を作りたいと思い、私は東京造形大学に進学しました。入学式に臨んでいた私は、高揚し、希望に溢れていたと思います。

 しかし、大学での生活が始まると、大学で学ぶことに対する希望は、他のものに取って替わりました。地方から東京に出てきた私は、時間があるとあちこちの映画館を飛び回り、それまで見ることができなかった映画を見ていましたが、そこで偶然に出会った人たちの映画づくりをスタッフとして手伝うようになりました。まだインディペンデントという言葉もなかった時代、出会った彼らは無名の作家たちで、資金もありませんでしたが、本気で映画を作っていました。彼らは、大学という場所を飛び出し、誰にも守られることなく、路上で、自分たちの映画を真剣に追求していました。私はその熱気にすっかり巻き込まれ、彼らとともに映画づくりに携わることに大きな充実感と刺激を感じました。それは大学では得られない体験で、私は次第に大学に対する期待を失っていきました。大学の授業で制作される映画は、大学という小さな世界の中の出来事でしかなく、厳しい現実社会の批評に曝されることもない、何か生温い遊戯のように思えたのです。
 気がつくと私は大学を休学し、数十本の映画の助監督を経験していました。最初は右も左も判らなかったのですが、現場での経験を重ね、やがて、半ばプロフェッショナルとして仕事ができるようになっている自分を発見し、そのことに満足でした。そして、大学をやめようと思いました。もはや大学で学ぶことなどないように思えたのです。
私は大学の外、現実の社会の中で学ぶことを選ぼうとしていました。

 そんなとき、私はふと大学に戻り、初めて自分の映画を作ってみました。自信はありました。同級生たちに比べ、私には多くの経験がありましたから。
しかし、その経験に基づいて作られた私の作品は惨憺たる出来でした。大学の友人からもまったく評価されませんでした。一方で、同級生たちの作品は、経験も,技術もなく、破れ目のたくさんある映画でしたが、現場という現実の社会の常識にとらわれることのない、自由な発想に溢れていました。授業に出ると、現場では必要とはされなかった、理論や哲学が、単に知識を増やすためにあるのではなく、自分が自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであることも、おぼろげに理解できました。驚きでした。大学では、私が現場では出会わなかった何かが蠢いていました。
 私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。
「経験という牢屋」とは何でしょう? 私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
 私は、現場で働くことを止めて、大学に戻りました。
卒業後、私が最初に制作した劇場映画は決められた台本なしにすべて俳優の即興演技によって撮影しました。先輩の監督からは「二度とそんなことはするな」と言われました。何故してはいけないのでしょう? それは「普通はそんなことはしない」からです。当時の私があのまま大学に戻らずに、現場での経験によって生きていたなら、きっとこんな非常識な映画は作らなかったでしょう。しかし「普通はそんなことはしない」ことを疑うとき、私たちは「自由」への探究を始めるのです。それが大学の自由であり、大学においてこの自由が探究されていることによって、社会は大学を必要としているといえるのではないでしょうか。

 私立大学には「建学の精神」というものがあります。それぞれの学校が、どのような教育、研究を目指しているのかが語られた言葉です。東京造形大学は建学の精神を「社会をつくり出す創造的な造形活動の探究と実践」という言葉で表現しています。みなさんには「社会をつくり出す」という言葉がどのように響くでしょうか? 何か大げさな、リアリティのない言葉に思えるでしょうか? 
 本学の創立者、桑澤洋子先生はデザインや美術の今日的な意味について次のように発言しています。
「それは単なる自己表現というより、社会に責任を取る表現であり、デザイナー美術家は、現代の社会や産業が孕む矛盾を解明する文明的な使命を持たなくてはならない」
 私自身、映画制作というささやかな造形活動が、「社会に責任を取る表現」であるかどうか、はなはだ心もとありません。私たちひとりひとりはちっぽけな存在です。私ひとりが存在しなくても、社会はつつがなく進行するであろうと確信できます。私たちが経験を通して実感することのできる社会は、ごく限られたものでしかありません。世界にはさまざまな問題があり、遠い国で内戦があり、飢餓があり、苦しみがあることを私たちは知っていますが、私という小さな存在が、いったいそのような広大な社会とどのように関われるだろうか?と思わず立ち止まってしまうかも知れません。しかし、社会は私たちひとりひとりのこの小さな現実と無関係に、どこか別の場所にあるのではありません。
 
 これからみなさんは、作品や課題の制作に取り組みます。自分の中にあるアイデアが浮かぶ、自分が追求している美しいフォルムが浮かぶ、果たしてそれが本当に良いアイデアなのか、本当に美しいのか自信はないかもしれない。その葛藤は創造につきまとう孤独な作業ですが、それがあなたの内的なアイデアに留まっている以上、誰にも意味を持ちません。しかし一旦それを表現し、形にしてしまうと、あなたの追求したアイデアは具体的な人間関係の中に存在することでさまざまな視線に曝され、その意味を試されることになる。そしてそれは単なる物や形に留まらず、人々や社会の関係性の中で動的な作用を生み出してゆくのです。たとえそれが、ささやかな人間関係の中であっても、確実にそこに社会は形成されます。この広大な世界を、全て見渡せる人は誰ひとりとしていません。私たちはみなこの地上で、限られた関係の中で生きており、全てを見渡すことなどできないところで生きています。私たちの小さな関係が編み目のように広がって、関係しあいながら世界が作られている。デザインやアートはその具体的な関係の中に、運動を作り出し、働きかけてゆく人間の行為です。私たちは、経験することのできないその広大な世界に思いを巡らし、想像することしかできませんが、その想像力こそが世界なのではないでしょうか。
 「造形」という言葉を私たちは単に「ものを作ること」と捉えてはいません。たとえば、みなさんがデザイナーとなり、エアコンをデザインしてそれが10万台売れれば、それらが毎日消費する膨大な電力を必要とする社会を、必然的に生み出してしまうことになる。アートも作品それ自体が普遍的な価値を持つのではなく、それが人々の精神に作用する働きによって存在するのだと私は思います。
 
 一昨年に起きた東日本大震災と原発事故によって、あるいはそれ以前から、私たちの社会のこれまでのシステムや作法がもはや機能しないことが露呈しました。私たちはこれまでの社会において当然とされてきた作法を根本から見直さなくてはならない時を迎えていると言えます。現実社会は、短期的な成果を上げることに追いかけられ、激しく変化する経済活動の嵐の中で、目の前のことしか見えません。これまでの経験が通用しなくなっている今こそ、大学における自由な探究が重要な意味を持っている時はないと思います。
 
この里山の自然に囲まれた、小さなキャンパスから、私たちは世界へと思いを巡らし、想像を広げましょう。それが,たとえドン・キホーテのようであっても、私は私たちの小さな創造行為が、必ず世界とつながっていると確信したいと思います。
 入学おめでとうございます。共によりよい社会をつくり出す探究を始めましょう。

平成25年4月4日
東京造形大学学長 諏訪敦彦

2013年度入学式 諏訪学長による式辞
http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

 この種の凶悪な例は別として、たとえば、あるタイプの支援者は、被災地の人々の生き方に干渉する。

「これこれこういうふうにするのなら支援する」
「福島からの避難に対しては支援するが、福島にとどまる選択をする人々には協力できない」

 というこれらのオファーは、善意から発しているものであっても、結果としては被災者に服従を求める「命令」の色彩を帯びる。
 被災者に対してパターナリズムを発揮している人々は、被災者を政治的に支配することを狙っているのだろうか。

 あるいは、もっと単純に、人を助ける段になると、誰でも無意識のうちに「上から」の態度を示してしまいがちだということであるのかもしれない。

 昔読んだ漫画だか小説だかに

「金を貸す時には使い道を尋ねない。それが男の条件だ」

 というセリフが出てきたのを覚えている。
 素晴らしい。私もそういう男に巡り会いたいと思う。
 マッチョもパターナリズムもここまで徹底すれば、それはそれで立派だ。
 が、貸す側の立場に立ってみると、なかなかそうはできない。ついおせっかいになる。

「授業料なら援助するがパチンコはダメだぞ」

 と、昨今は、生活保護の支給金の使い道にいちいち口を出そうとする政治家が増えてきている。はなはだしい向きは、金でなくて、食料券を配布するプランをブチあげている。

 支援する人間は、相手を子供扱いにしがちなものだが、それでは、本当に助けていることにはならない。単に支配しているだけだ。

 本当の大人は手をさしのべる先の相手に対しても、大人としての待遇を約束する。
 肝に銘じたい。

傍観者の「善意」について:小田嶋 隆
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130307/244676/

◆未来の自分に期待しない

・あとでやったところで自分の才能も状況も変わらない「いま」が再びやってくるだけ

・未来の自分が行動しやすいように準備をしておく

◆快楽を捨てる

・「快楽を捨てること」と「苦痛を選択する」を一度にやろうとしてもダメ

・「いまの快楽を捨てること」に集中する。

◆分解する

・「部屋を整理する」ではなく、「本を本棚にもどす」などすぐ実行できるところまで分解する。

・分解するクセがつけば自然と「すぐやる」人になれる。

◆モノをためこまない。

・すぐやる人はモノが少ない。

◆結果を気にしない

・「結果」ではなく「数」にフォーカスする。

◆「現状維持バイアス」を外す

・「現状維持」をしながら動くことが大切

・現状からの変化を小さいものにして、少しでも「変える」ことが重要

◆「とりあえず」でやらない。

・「とりあえずやる」は心の衝動を満足させているだけで、仕事が進んでいるかとは別の問題

◆まず「準備」をする

・「すぐやろう!」ではなく「まず準備しよう!」

◆カンペキ主義をやめる

◆気持ちに余裕を持つ

・「やるかやらないか」という葛藤が起こる理由は2つ

①「時間がかかりそう」

②「疲れそう」

・ストレスや不安があるとすぐにやれない。

◆気合いを入れすぎない

・大きすぎる計画を立ててしまうと実行のとき「脳の警報」がなる。

・警報を鳴らさないために小さな計画を立てよう

◆やりたいことを増やさない

・「やることリスト」に書いた言葉は、捨てられなくなる。

・やらないことを決めるのも手

◆ひとつに絞る

・それしかやれない環境に身を置いてしまう

・どう頑張っても同時に2つ以上のことはできない。

◆机の上をゼロにする

・デスクトップのアイコンもなるべくゼロに近づける。

◆すぐ終わることも多いと心得る

・実行までのハードルを下げる。

◆一気にやる快感に気をつける

・ギリギリ感がたまらない「危機好き」タイプがいる

・少しずつためる量を減らしていく

◆締め切りがなくても動ける方法を探す

・自分で設定したデッドラインでできたという経験を多く持つ

◆「楽しい」と思い込む

◆最大の損失を先取りする

・「最大の失敗」を明らかにして、それに耐えられると考えれば葛藤を越えられる。

・やりたくない理由で最大のものを書き出す

◆なぜ「すぐやれないか」分析する。

・理由は大きく分けて4つ

①選べてない

②決められない

③準備できてない

④実行できてない

(via mercator)

たった一本、アポイントの電話をかけることが、なぜかできない……。

この心配性タイプ、佐々木正悟氏によると、親から年中怒られる環境で育った人に多く見られる。緊張して生きているという意味では完璧主義タイプに似ているが、基準が常に外側にある点は正反対だ。

「このタイプは、完璧に仕上げたいという内側の基準ではなく、人に文句を言われたくないという外側の基準に囚われています。しかも、人は些細なことで怒り、文句を言ってくると思い込んでいる。だから、よほどモチベーションを高めないと、ごく簡単な作業もできないのです」

平本あきお氏が勧めるのは、まず自分がグズグズしがちな行動を書き出すこと。

「書き出したうえで、行動に伴う目先の“苦”と将来の“快”を比較し、快に目を向けるようにします。これで嫌々ながらも手をつけようとはするでしょう。次に苦手意識の強い作業と快を結びつけます。好きな喫茶店に行ったり、好きな珈琲を入れるなど自分に快を与える環境をつくって作業に取りかかるのです。そのうちに、その作業自体が心地いいものになってきます」

心配性タイプには、宅配便ひとつ出すにも膨大な時間をかける人がいる。箱のサイズ、梱包の仕方、伝票の書き方などについて、集配人から文句を言われるのではないかと恐ろしくて仕方ないのだ。

佐々木氏が勧めるのは、「現実主義療法」と呼ばれる方法だ。やるべき仕事をリストアップし、タイマーをセットする。アラームが鳴ったら機械的に仕事を始め、次にアラームが鳴るまでに仕事をダーっと片づける訓練を重ねる。

「それができれば苦労はないと言われるでしょうが、心配性タイプがやろうとしているのは、完璧主義タイプのように大それたことではなく、宅配便を出すような簡単なこと。タイマーを使うことで、『手間暇かけても結果はあまり変わらない』という現実を学んでいくわけです」

一方、笹氣健治氏が勧めるのは、ゲシュタルト療法で使う祈りの言葉だ。

「『他人は私を喜ばせるために生きているのではない』と、事あるごとに3回唱えます。アポイントの電話を断られたりすると、まるで自分が否定されたように感じますが、そもそも相手は自分を喜ばせるために存在しているのではないと気づけば、傷つく必要はありません」

しかも、仕事は自分の一部分でしかなく、その一部分を否定されたからといって自分がすべて否定されたわけではない。

「このタイプには、仕事と自分を一致させないことが非常に大切です」(笹氣)

TODOリストをカード化して、トランプのババ抜きの要領で1枚引き、その仕事から片づけていくのもいい方法だ。

「心配性の人は、仕事を始める前に悪い結果を予測して手が止まる。それを防止するには、始める前にあれこれ考えない工夫をするといいのです」(笹氣)

不安や焦りなどの感情は思考から生まれる。思考する暇を自分に与えなければ、ネガティブな感情は生まれないのだ。

電話一本すら億劫になるのか -「先送り症候群」6タイプ別病状と処方箋
http://news.infoseek.co.jp/article/president_8019

 結局、企画会議っていうのは、リスクの分散のためにやるんですよ。誰も責任を取らなくてもいいシステムなんです。僕が昔、企画を編集長のところに持っていったときに「売れるかどうかはわかりません」って言って、すごく怒られたことがあるんです。「金になるかどうかを考えるのは俺なんだ、お前は考えるな」って。

 逆にね、自分の企画で雑誌が売れたこともあったかもしれないですけど、それは編集長のお手柄なんです。本来、売れなかった責任も売れた手柄も編集長のものなんですよ。おもしろいものをつくり出す人間は、余計なことを考えるなという環境を与えられていた。

 僕はものを作り出すプロセスはこうあるべきだと思います。そうしないと、すでにあるものの二番煎じを作ろうという結論になって、おもしろいものは生まれなくなってしまいますよ。

【都築響一氏インタビュー】本当におもしろい企画を生み出すために

http://www.sbbit.jp/article/cont1/19745

その内うちの子用に必要になりそうなので、備忘録的に。

昔というのは十数年前。一応このやり方で、大体の子は三桁÷二桁の割り算の筆算ができるところまでもってこれてた。教職免許もちではないので、実際の教壇でどう教えるのかは知らない。

対象者は、「割り算の筆算が分からない」という子。対象年齢は小学校高学年、場合によっては中学校低学年。三桁÷二桁なのは、二桁×二桁の掛け算が出来るかどうかもついでに確認出来るから、というのが理由。


仮に、205÷17という割り算の問題を想定する。途中の掛け算がシンプルなのと、余りが1出るので教えやすい、というのが理由。当時も大体この式を使っていた。


前提その一。教え方をステップ化して、どこでつまづくかを確認する。全部一度に理解出来る子は、少なくとも私が教えた中では滅多にいなかった。また、小4くらいで算数が苦手な子は、かなり初歩でつまづいたままなんとなく放置している場合もあるので、慎重に「つまづく場所」の発掘を行う。

前提その二。筆算というものは、幾つかのルールの集合である。ルールには、存在理由を細かく説明した方がいいものと、「そういうものなんだ」と流した方が理解が早いものがある。特に記法は殆どが後者で、桁数の概念が理解出来ないとどうしても理解出来ない場合が多い。どうしても「なんでこう書くの?」「なんでこうなるの?」と聞いてくる子には、一通り教え終わった後、はじめに戻って教えてあげる。(ただし、そういう疑問を持つ子は学習能力や学習意欲が高いので、そもそも事細かに教えなくても分かってしまう場合が多い)


1.「割り算という計算は、ある数の中に、別の数が何個はいるのかな?ということを当てる計算です」筆算以前の概略説明。ちなみに、「割る・割られる」という言葉は混乱の元なので、筆算の勉強中は封印していた。「割り算」という言葉自体が割り算を分かりにくくしている、と今でも思う。

2.205÷17の筆算式を板書。「205という数字に、17は何個入るのかなーということを当てます。筆算という便利なやり方があります。こんな風に書きます」記法は流した方がいい。覚えられるかどうかだけの問題。

3.「17は、「1」と「7」の二つの数字から出来ているので、まず二つの数字同士で比べます」重要なルール。桁数の考え方は、筆算の技術的には必要ないので、最後まで出来て、まだキャパシティがありそうなら後からおまけとして教える。よく出来たからご褒美に秘密を教えてあげる、として教えると食いつきがいい。

4.「20の中に17は入るかな?」数の大小の比較が出来るかどうかを確認。ここでつまづく子も、ごく少ないがいる。つまづいたら戻ってそちらの説明。

5.「17は20の中に何個入るかな?」4の延長だが、初歩の暗算が出来るかどうか一応確認。ここでつまづく子もいる。つまづいたら勿論確認。ちなみに、ここでつまづく場合二桁÷一桁の筆算に一旦切り替えた方が良い。

6.「はい、20の中に17は1個入るね。上に1と書いて、下に入った17を書きます」記法ルールなのでさらっと流す。覚えているかどうかは後から確認すればいい。

7.「20の中に17が1個入りました。けど、まだ数字が残ってるね。20の中に17を入れると、後数字がいくつ余るかな?」二桁同士の引き算が出来るかどうかの確認と、「余り」の概念の導入。割とつまづく子が多いステップ。引き算でつまづかない子については、単純に記法ルールとして流した方が覚えが早い場合が多い。

8.「3余ったね。けれど、205÷17の、残った5の数字がまだあります。これと3を合体させてやらなくてはいけないので、こうやっておろしてきます」記法ルール。つまづく子の数はそれなり、という印象。ただ、ここでつまづくと若干厄介で、「とにかく覚える」以外に解決方法があまりない。別の式で反復する。

9.「はい、35という数字が出来ました。35の中に、17はいくつ入るかな?」同じやり方で繰り返し。

10.「35の中に、17は2つ入るね。17が2つあると幾つになるでしょう?」二桁×一桁の掛け算が出来るかどうかの確認。つまづいたら戻る。

11.「35の中に、17が2つで、34が入りました。1が残るね。1の中に17は入るかな?」余りの概念の定着。7で触れていると、ここでつまづく子は少ない。

12.「はい、数字を読んでみましょう。205の中に、17は12個入って、1余る、ということになります。確認してみようか。17×12は幾つになる?」検算のやり方と、二桁×二桁の計算が出来るか確認。出来ない場合そちらの勉強に遷移。


以上12ステップ。思い出しながら書いたら勉強になった。

今後必要になりそうな備忘録的内容に関してはまた書く。

昔、小学生に割り算の筆算教えてた時の教え方晒す

 最後に、ここ最近のいじめ問題に関する議論の中で、若い人たちに一番聴いて欲しいと思った発言がある。

 それは11月12日に放送された、TBSラジオ『伊集院光 日曜日の秘密基地』──。

 ゲストのピエール瀧が、デタラメで無責任な瀧らしい放言をすると、絶妙のさじ加減で軌道修正する伊集院、といった感のフリートークが続いた後、瀧が学生時代にショックだった事件の体験談をし始めた。

 長くなるので、最初は要約して引用する。

 瀧が静岡の高校に通っていた頃、文化祭の打ち上げで飲酒をして、それが学校に発覚したことがあった。

 クラスのみんなが参加していたのに、先生によって、瀧だけが呼び出され首謀者に仕立て上げられる。

 瀧がその事実をクラスメートに伝えると、皆は「それは違う! お前が悪いんじゃないよ」とか、「先生に何か言われたら、庇ってやるよ!」などと温かい言葉をかけてくれて、瀧は「あー、友達っていいなぁ」と思った。

 いざホームルームになって、先生は、

「今から瀧くんがみんなにお詫びすることがあるそうです」と謝罪を強制。

 みんなが助け舟を出してくれると思っていた瀧だったが、クラスメートは無言のまま!!

 あの時は、クラスのみんなを憎んで、翌年の文化祭のフォークダンスをぶち壊しにしたりしたけど、後に『電気グルーヴ』を組むことになる石野卓球など、クラスの外にも友達がいて、自分の世界があったから救われた。

 まあ、現在の39歳(瀧と伊集院も1967年生まれの同じ年)にもなれば、あの頃、最低であることこそがいい想い出──などと振り返った話の流れから、突然、伊集院と瀧が爆笑しながら……。

瀧 今さ、巷で昨今のいじめ問題とかあるじゃないですか? いじめるヤツ、いじめられるヤツ、あのね、そいつらに言いたい。お前ら将来伸びるから、今、死んじゃダメ!(爆笑)

伊集院 (笑いながら)ホントに青臭いことじゃなくて、その一瞬、お前ら敵に囲まれたと思うけどその外側にもっと凄い色んなことあるから!(爆笑)

瀧 今、受けたそのひどい体験は、今のお前にとっては受け入れがたいかもしれないが、お前その経験をしとくと、将来伸びるから!!(爆笑)

伊集院 ブハハハハッ!!

瀧 今死ぬな!! 伸びるから!! って感じ(爆笑)。

伊集院 お前ら、びっくりするだろうけど、今、お前の周りにいる30人全員敵だろ? だけど、その周りに300人いて、その周りの3000人が全員敵になる瞬間があって、30000人が急に味方するときがあるから。その一層(30人)だけで判断するなよ……。

瀧 (笑いながら)判断するなってことを言いたいオレは! フハハハハッ!!

 この放送、最近のいじめ問題を語る言霊の中で一番、しっくりきた。

 いじめ問題を爆笑問題として最もすっきり説いたのはこの二人だった。

 今回、なんだか支離滅裂な文章を未整理のまま、だらだらと書きつらねたが、結局は最後のラジオの言葉の引用をしたかっただけだ。

 決して本にはならないような会話だけど、伊集院と瀧の話が、今、この文章を読むどこかの誰かに届けばいいのだ。

 あの頃のボクに、ラジオからビートたけしの言葉が届いたように。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/1045?page=9

20年来のつらさがほぼ消えたことについて

学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。


中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。

何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとかなったし、結構業績もあげたので30前半も20代の貯金でなんとかやっていけていた。けれど30半ばになって全く新しい仕事をやらなくてはならなくなり、そこでクラッシュして休職した。復職してからは自分の頭や体の調子を冷静に見るようになって、ヘビースモーカーだったのを禁煙したり、ランニングを始めたり、食べ物に気をつけたりしたところ、少しずつだけど調子は上向きになっていったけど、根本的に何かおかしいと思っていた。以下ここまでで出ていた症状。

朝はどんなに寝ても起きるのがつらい(体が痛かったり、悪夢を見たり)
弱いお腹(煙草をやめたらずいぶんましになったがラックビーは手放せない)
どうでもいいことで怒りっぽい
夕方過ぎの焦り、無気力
突然やってくる自己嫌悪発作
お腹がすきやすい
お腹がすくと頭がふらふらして働かなくなる
なので甘いものが異常に食べたくなる
特に疲れていなくても昼食後異常に眠い
関節のだるさや痛み
走ると膝が怪我しやすい
蕁麻疹
アレルギー
疲れやすい
集中できない
どうでもいいことに緊張する
どうでもいいことに傷ついて落ち込む
寝つきが悪い
シニカルなものの見方
反・非社会的言動
ランダムなおしゃべりを楽しめない
飲み会の最中に寝てしまう
食事をしてもだるくて楽しめない
性欲亢進

(追記)

たちくらみ(常時)
耳詰まり

仕事は、失敗するのが怖くて異常にワークロードをかけてやる。だからうまくいくときはいいけど、失敗すると目も当てられない。うまくいってもうまくいかなくても疲弊してしまう。うまくいった仕事は、人の手助けとか責任がなくて気軽にやったものがほとんど。

こういう状態だから、とても悩んでいろんなメンヘルの本や啓発系の本を読んだけど解決にはならなかった(違う意味で色んな示唆は受けたけど、特に瞑想とか)。ある時アメリカ人の書いた本を読んだところこんなことが書いてあった。

炭水化物を減らす

炭水化物は”全粒”がキーワードです。白いパンや白いご飯、白いパスタなどの精製された炭水化物は血糖値を急激に変化させ、気分をコロコロ変えてしまいます。

「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ、三笠書房


アメリカの啓発系の本は説教くさくなくプラクティカルなので好き(追記:個人的にこの本全体を評価するわけではありません。最後のほうにはカルトっぽい記述もありましたし。要は部分的にでも役立てばなんでもいいということです。)なんだけど、早速玄米やライ麦パンを試してみたところ、頭がすっきりした感じがした。のでさらに調べてみたところ「低血糖症」のキーワードにたどりついた。特にこの本には驚いた。


「低血糖症と精神疾患治療の手引き」マリヤ・クリニック院長 柏崎良子、イーグレープ


この本によると、低血糖症患者(反応性低血糖症の場合))は食後の血糖値が急激に上昇するために、インスリンが出過ぎてしまい3-4時間後に血糖値が異常に低くなってしまうとのこと。血糖値が低くなりすぎたりすると、血糖値を上げるためにアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、

分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンが情動を司る脳の分野(大脳辺縁系)を刺激し、感情的興奮(怒り、憎しみ、敵意、焦燥感、恐怖感、落ち込み、悪夢、不眠、自殺観念)を引き起こすため、脳全体の機能のバランスが悪くなり、感情をコントロールできずに「キレる」症状を起こす原因の一つともなります。

とのこと。症状はより詳しく以下のものがリストされている。

攻撃的行動、うつ的衝動、性格の異常化、感情の抑制ができない、判断の統合ができない、引きこもり、自律神経失調症、完璧主義になる、健康の認識基準が低い、自責の念が強い、過度に目的志向型になる、幻聴幻覚の症状、不眠と悪夢、「キレて」止まらない症状、ストレスへの対応、感情表現の欠如

また、コルチゾールも分泌されるが、血糖値を上げるためだけに使われてしまい、アレルギーや炎症が出るとのこと。これも症状ぴったり。

極め付けはこの文章。

青少年期から低血糖症の患者は、低血糖の異常状態に慣れていて、それを通常の状態であると誤認していることもあります。低血糖症がもたらす他の症状のために来院し、検査の結果、低血糖症であることがわかり、治療して後、体質も性格も変わり、自分の健康状態、正常な状態を知って驚くことも多くあります。

これだけ言われたら試すしかないと思い、これで駄目だったら田舎にでも引っ込んで低位安定の人生を送ろうと決心して食生活を試行錯誤の末こんな風に変えてみた。


朝食:ライ麦パン、生野菜、卵、カフェイン抜きコーヒー、果物少し、ジュースなし

間食1:コンビニのミックスナッツを150kcalくらい

昼食:肉か魚でご飯は2口くらい、玄米が選べたら茶碗半分くらい

間食2:ゆで卵

間食3:プロテインとナッツの残り

夕食:妻の作るマクロビ料理+肉か魚、糖質はほとんどなし

間食4:寝る前にナッツとプロテイン

(追記:最適な食べ方は人によって違います。低GIで少量頻食にするのがポイントですが、ミネラルバランスを気にして、内臓疾患がないか検査は必要でしょう。)


ポイントは、お腹半分でまでしか食べないことと、空腹のタイミングを作らないことと、ソースも含め砂糖とブドウ糖果糖液を徹底的に避けること。食べるものは基本的にマクロビオティクスに肉と卵を足したものだと思えばいい。最初はSoyJoyも食べていた(症状が重くなければ十分効果があると思う)。酒は翌日に残っていたのが残らなくなったのであんまりセーブしていない(追記:飲む種類は蒸留酒と赤ワインがメインになりました。ビールを飲むととたんにおかしくなるので)。むしろ野菜と肉と魚で飲むと眠くならないし飲むのが楽しくなってきた(甘いつまみは厳禁だけど)。ちなみに、頭が働かない時にブドウ糖や甘いものを、と宣伝されているけど、あれは砂糖業界の陰謀だとしか思えない。その一瞬はいいけど、すぐに悪循環に入ってむしろ悪化する。たんぱく質だって脂肪だって時間はかかるけどブドウ糖に分解される(追記:厳密に言うと糖新生ですね)ので最終的な効果は一緒で、いきなり吸収されないぶん血糖値を上げず安全だったりする。だから泰葉みたいに砂糖を食べてはいけなくて、ふらふらする前にたんぱく質か低GI食品を食べるのが正解。


効果は笑っちゃうくらいすぐ(2-3日で)出た。まず仕事の集中力が圧倒的に戻ってきて、いい資料は作れるし、ミーティングで効果的な発言はできるし、客に嫌味を言われてもこたえない(冷静に指摘としてとらえる)ようになった。寝る前に食べるせいだろうけど、朝は気持ちよく目覚めるし、いらいらすることがないから性格も丸くなった。なによりうれしいのは、以前だったら調子のいい時に思いついたアイデア(プライベート、仕事を問わず)が、昼食をとるとリセットされて全然進展しなかったのが、継続して発展させられること。結構ややこしい問題に関する説明資料を1ヵ月かけてつくって客のお偉方に説明したりなんてことが簡単ではないにしても充実してできるようになって、もしもう少し若い時に同じことができたら、高給取りのコンサルになれたのになと思ったりした。今や仕事の企画を考えるのが楽しくて仕方がない。

ランニングも調子よく、以前だったらハーフマラソンに出るたびに怪我をしていたのが、今回はフルマラソンを走っても3日後には練習が再開できるくらい。胃腸については、お腹を壊すことはほぼなくなり、肉を大量に食べても難なく消化できるようになった。

おまけに、インスリンダイエットとプロテインダイエットを同時にやっているようなものだからいい感じにやせてきた。(追記:もともとやせていましたが、体型は良くありませんでした)

一応病院にも行って、保険適用外の5時間糖負荷検査というのを受けた。検査の最中から慣れ親しんだ嫌な身体的心理的症状が出て、結果は見事に反応性低血糖症(200以上に上がった血糖値が4時間後に50近くまで落ちた)だった。念のためこれも保険適用外のサプリ(結構高い)も買ったけど、なくても食事だけで十分効果があるのはわかっているのでいつでもやめられる。低血糖症を治療することでうつ病だけでなく、統合失調症も良くなるらしいとのこと。統合失調症になったことはないのでよくわからないけど。ただ、不定愁訴系はかなり治るような気がするし、いらいらしてキレやすい犯罪者やDQNは、自分もそうだったから治療可能だと思う。


今の典型的な仕事のやり方はこんな感じ

9時にオフィスに行って仕事の段取りを考えたり、プライベートでやらなきゃいけない振込とかをする。
たまったメールも見てしまう。
簡単だけど急ぎの仕事を片付けてしまう。
みんなが来る10時には、集中しないといけない仕事に取り掛かっていて、午前中は一人でブレストしてアイデアを出す。
昼食はどのみち軽いので、余った時間で本を読む。これも眠くならないので頭に入る。
午後は午前のアイデアを文書にまとめる
まとまった段階で誰かと一緒にそれをレビューする
午後の遅い時間にミーティングをまとめてやる。
夕方以降は明日以降の仕事の準備とか、調べものとか、重めのメールの返信とか。
遅くとも19:30には余裕をもって帰宅。この段階で明日以降の大まかな段取りはできている。

何をやったらいいかわからなくて無為に時間を過ごして、無力感と自責感にさいなまれながらだらだら遅くまでいた以前とは大違い。一日集中できるということがいかに素晴らしいか痛感する。マネージャーだったころに人系のぐだぐだでとても疲れたことがあったけど、そういう仕事も懐深くできるような気がする(あくまで気がするだけだけど)。

プライベートでもランニングがこれまで以上に楽しくなったほか、もともと好きだった音楽や映画も心の底から楽しめる感覚が本当に久しぶりに戻ってきた。今はドアーズを聞きなおして曲の良さにほれぼれしているところ。味覚も鋭くなって、豆や野菜の自然なおいしさがよくわかる。自然のおいしさを理解して生かしている料理を食べると嬉しい。二度とチェーンの居酒屋なんか行けないけど。妻や友人と過ごす時間も増え、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思う。経済的な不安はまだまだあるけど、幸せっていうのは結局自分の状態のことなんだなと実感した。

ともかく空腹感や満腹感で良くも悪くも気分や体調が変わってしまう人は試したほうがいいかも。症状が治まった目で見るとそういう人がとても多いように見える。アメリカでは保険適用で、4,000万人くらい潜在患者がいるとのこと。日本で普通の治療になったら、長期のうつ病や進行した結果としての糖尿病やメタボが過去のものになるかもしれないと思う。


(凄い久々の追記)

基本的に同じ食生活を続けていい調子ですが、最近もしかしてセリアック病なんじゃないかと考えだしました。セリアック病による自己免疫不全でお腹の具合が悪く、小腸から栄養が吸収できないということなのかもしれません。糖尿病の併発も多いようで、結局は低血糖症で言われているのと同じ現象が発生し、治療法もほぼ同じとのことです。将来的にここらへんが統一的に説明がつくようになるのかもしれません。


(またまた追記)

セリアック病のテストではネガティブでした。ただセリアック病を疑うのと前後して、ハーフマラソン後に誤って飲んだオレンジジュース(炭水化物30g)で体が発狂(痙攣と胃腸障害)したので炭水化物不耐性なのだろうなと思います。炭水化物不耐性→現象としての低血糖症という感じです。

http://anond.hatelabo.jp/20090401200113
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